言葉は借り物

どうでもいい女子大生のブログ

2022/6/20

この間の日記の続き

皿洗いも洗濯も人生の虚無を象徴する生活行為である。なんの罰ゲームで人生をやらされてるか分からないが、おそらく「生誕」の罰なんだろうと思う。でも私は私の意志で自発的にこの世に生まれたのではなく、生まれさせられたのだから、この行為の責任を負わされるのはおかしいんじゃないか。と思ったけど、そもそもゲームのようにこのような重さの罪があるからそれに応じてこの重さの罰を与える、という人工的な考え方を自然(生まれて死ぬのは自然の摂理)に適応できると思っているのが間違っているのかな。と考えたり。

そもそも生誕して人生をやらされるのは一方的な暴力のような、不条理なものなんだから、私のゲーム的な論理なんて通用しない。合理性の外側に存在する圧倒的で一方的な暴力なんだから、もう納得するしかないのよ。ケチをつけても論理は自然に通用しない。オーバーテクノロジーが一見自然を論理的に牛耳ったかのように見えても、実際地球は温暖化しているんだし、自然から資源を搾取するのも限界が近いと言われてる。

妹から手書きの手紙が来た。アナログでものを書くと文章の大規模な修正が大変だし、書くのも面倒だから余計な情報がどんどん削ぎ落とされて、あるいは必要な情報も削ぎ落とされて、結果的に内容に余白を持たせた文学的な仕上がりになる(気がする)。字は下手ですが、早速返信を書きます。