言葉は借り物

どうでもいい女子大生のブログ

2023/8/20

悪趣味と言って一般的に想像される趣味(殺戮とかぐろいものが好き)ではないし、Xでもよくバズっている太宰先生風に言う"カルチベートされた人間"の好むモノも、試しに読んだり聴いたり見たりするものの、自分には似合わないし心からしっくりぴったりきたことがなく、趣味のよい友人を前に何となく自分の好きなものに後ろめたさを感じる。

残念ながら、自分が完全に現代社会のスピードに追いついているのを感じる。かつて人類がのんびりと草原にピクニックシートを広げ、お茶とお弁当で景色を楽しむノロマな時間認識を捨て去っていた。悲しいことに……。長い動画より短い動画を好む。沢山の短いカットと早い展開、速いテンポを好み、ポリコレを好み、chatGPTを好む。ボカロ、好きやし……。好みたくは全くないが、結果として好んでいる(ことになってしまっている!生活の結果として!)。

趣味のよい友人(架空)はボカロなんて聴かない。ジャズかスッキリしたロックを聴く。アメリカ映画じゃなくてフランス映画の方が好きだし、多分ものすごい読書家だ。多分Spotifyで面白いポッドキャストを聴くし多分料理上手い。しかも料理全般というより自分の好物の分野だけやたら上手い。肉屋で肉を買う。日常系YouTuberの動画を見せたら「これ何を面白がればいい?」と困惑する。実はニュージーンズ聴いてる。ニュージーンズの音楽と他のK-popアイドルの音楽の違いを明確に峻別できている(私にはわからないけど趣味のいい友人はいい音楽を沢山聴いているから分かるらしい)。スピーカーに金かける。服だってよく見たら凝ったものを着てる。部屋に掃除機を毎日かける。

いや、薄々は気付いている。羨んでいるのはきっと友人のカルチベートされた趣味ではなくて、ものに対する深い愛情と、それらを真っ直ぐに信じる心なんだと。私も完全感覚dreamerになって真っ直ぐに自分の心を悦ばせるものを掴むことが、何の恥ずかしげもなく、やれるだろうか。

2023/4/25

昔から誰に何か言われるでもなくひとりでに音楽が好きだった。受動的で怠惰な私が何かを好きになる場合、大概家族の影響とか友人の影響とか、もしくは母からの承認を求めてとか友人からの承認を求めて好きになるとか、そういうのが多いのだけれど、今思うと音楽を聴くことだけはひとりでに勝手に好きな行為だった気がする。やはり受動性の塊とでもいうのか、音楽といっても何か曲を作ったり演奏したりとかはせず、とにかく聴くのが快くて好きだった。まず、自分で曲を作ったり演奏したりする発想がなかった。(生まれた頃から鑑賞者…(これは私のクリエイティブコンプレックスの発作))何はともあれ、小さい頃にひとりでに好きになったことが音楽だなんて嬉しいなあ!と心理学の授業中に考えていました。洋服とかも好きだけど、きっと母からの要請に応えるうちに身だしなみを異様に気にしてしまうようになって、好きというかほぼ身だしなみコンプレックスというか、ネガティブな原動力で服を探したり買ったり着てしまう。それは最早好きと言えるのか。否か。うーん。でも一応純粋に洋服が好きな気持ちもあって、色々、承認欲求だったり好ましいクオリアだったりが複雑に混ざってる。人はそのようにして物を好きになるのだと思います。節約のためにお昼にお弁当(とも呼べない何か)を朝作ったのに、持ってくるのを忘れた。オンライン授業で自宅警備員中の同居人に「お昼持ってくの忘れたから食べたかったら食べてもいいよ。食べなくてもいいよ。」とメッセージを入れておいた。が、私たちの味覚って本当に真反対というか合わなすぎるので食べてくれない可能性もある。食べてくれなかったら夜にお弁当(とも呼べない何か)を食べる羽目になるのか!悔しいぃぃぃいいいい!おしまい。

 

 

2023/4/19

大学が始まっててんてこ舞いで、毎日次の土曜日まであと何日か指を折って数えている。一番大事なのは休まないこと。だから夜の過ごし方大事。同居人に明日はゼミで夜ご飯行ってくると言ったら嫌な顔された。私はゼミのメンバーとご飯行くくらいしか大学の交友関係はないし、何よりゼミが大好きなので、明日のご飯も結構楽しみにしていたのだけれど。私がそれに行くことで悲しむ人がいると思うと、何も悪い行為ではないのに悪いことをしているような罪悪感を感じる。ゼミの交友は私の大学生活で唯一の大学生っぽいことなんだから快く送り出してよー!えーん。毎日気温が上がったり下がったり。病気になっちゃうね。最近、授業で発言しようと思うだけで心臓がバッタンバッタン脈打ち、あれ?私ってこんなに引っ込み思案だったっけ?とか思う。発言し始めたら心臓のドキドキはおさまる。自分の声を聞いて緊張が和らぐのだろう。音楽で鍛えられた謎メンタル。でも毎授業こんかドキドキしてたら心臓がもたない。今とってる授業のほとんどにディスカッションある。ディスカッションも同様に心臓がバクバク。なんなんだ。いや、にゃんにゃんだ。最近この言い方にハマっている。なんなんだ一体、ふざけるなよ!という若干キレ気味な語気ににゃんにゃんのおとぼけと可愛らしいニュアンスをmixすることで、怒ってるけどなんかかわいい😍を実現しています。(そうか?)

 

 

 

 

2023/3/11

町田に買い物に行った。わざわざ休日に遊びに来るような見所の一切ない街だが、なぜか混んでいた。

買い物を終えて疲れて家に帰って、音楽を聴いた。スピーカーから流れてくる音に合わせて旋律を口ずさむと、曲があまりに美しかったのでシクシクと涙を流してしまった。宗教的な体験をしたと思う。静かに泣きながら歌った。私の声が音源の音に調和すると、なぜかその一瞬に、いつもは断絶している自分とこの世界との結びつきを感じられた。

音楽が美しいことほど私の人生を慰めるこの世の真実はないのでは、と思う。いや、わりと美味しい食事をすることもかなり心を癒してくれるし、ピンク色の夕焼けや、雨上がりの藍色の夜空にだって感動して「世界はなんでこんなに美しいんだ!」と素直に思う。そんなものたちも、生きるということの痛みをまやかすための一時的な麻酔に過ぎないと思う。だけど、だけど…。

YouTubeのおすすめに坂道のアポロンが流れてきたので久しぶりに見た。神アニメ。このアニメだけじゃなく、ジャズのセッションってインディペンデントな魂と魂が音楽の中で一時的に結びつく神秘的な瞬間に立ち会った気持ちになるよね。私はジャズのサックスの野性的な(と私は思っている)音色が苦手で自分がやる気にはあまりならないけど、そういうジャズの刹那的な魂の交流がいいなって思う。実際に仲良くなくていい。話したことなくていい。音楽で会いましょう。

なので音楽でセッションをすることは異文化交流としても素晴らしい手段であると思います。イェイ♪

2022/2/10

今日は雪が降っていた。昼の病院を寝坊で遅刻したけど、帰りに丸善でうろうろして楽しかった。片付けの本とか読んだ。私の部屋は居場所のない物たちで溢れている。

雪ってあんまり降らないし、綺麗だからテンション上がる。注意深く歩かないと転けてしまいそう。だから集中して道を歩いた。動物としての自分の能力を使っている気がして少し気分が良くなる。除雪された道は歩きやすくて快適で、スイスイ歩くことができたけど、だから簡単すぎる。

日記もスマホで書くより紙に書く方が要らない部分が削げ落ちて、良くなる。文字を打つのが簡単だと説明しすぎてしまう。紙に書いた文章には思慮深い余白がある。

2023/2/20

家を出る前の倦怠感はとんでもないものがある。1番の難関はきっと家を出る時だ。出てしまえば意外と大丈夫という言説もある。気分もマシになる。

一昨日は就活関係で原宿に行って、そこから二日寝腐っていた。MILKで鞄を買った。

外に出ると、仕事終わりや学校終わりの人がいっぱい歩いてた。誰もが疲れたけど充実した1日だったのだろうと想像する。そんな毎日を私も過ごしたいとずっと思ってきた。毎日安定して学校に通ったり、職場に行って疲れたけどコツコツやれてるなって。安定した毎日を送りたい。何度も自分に問い続けた、なんで毎日安定した暮らしができないの?って。自分のことを責めていたかもしれない。はたから見ればただのだらしのないクズだけど、私も私に失望して、何度も失望して、自分を信じられないし、やはり、事実としてだらしのない人間なんだと思う。

 

 

2022/11/27

初めて見る秋田ひろむは素敵だった。私の席は5階だったし、目が悪いのもあって、はっきりとその姿を見たわけではないけど、黒い衣装が背景の闇に溶けていて、帽子の下の顔の肌色と、衣装から覗く両の手首の肌色が暗闇からぼーっと淡く浮かび上がって、そこに秋田ひろむがギターを弾き歌い揺れる姿を見て。感激した。(大ファン)

私は、心の旅をする時代は終わったかな。旅を続けたいなら、多くの本を読んで、もっと多くをよく考えるべきだ。対話を恐れず、しまくれ。放蕩も楽じゃない。自分の年齢が妙に気になる。これでも一応社会の役に立って生きたいと心から思っている。あと一年と半年…。馬鹿な自分に落ち込むというつまらないことをしない。自分ははなから馬鹿であり、何も知らないことを最初から承知して色々を学ぶこと。よく練習すること。自分のお世話をちゃんとして、必要な時には休ませてあげること。分かった!?と今日も自分に言い聞かせております…。。゚・ (>﹏<) ・゚。